スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

(13)西行の祖父

時空を超えて(13)

このシリーズ、前回、西行と江口の遊女妙との話を書いたが、今回はロイヤルの講座では時間が無くて触れられなかった、西行の祖父・源清経と傀儡女たちの話を書こうと思う。

まず、西行だが、彼は、俗名佐藤義清という。
紀ノ国に領地(田仲荘・粉河寺のあたり「あら川の桃」で有名な所の近く)を持った武家の嫡男で、出家前は北面の武士であった。
8歳の時に父が亡くなり、若くして家督を相続したが、その領地は広大で、わりあい裕福な育ちのお坊ちゃまだった。
父亡き後、佐藤家のことは後家である母が取り仕切ったと思われるが(亡くなった父方の祖父・検非違使として有名だった佐藤季清──『左藤判官季清記』を子孫が検非違使になると仮定して故実を子孫のために著した──は生きていたのかすでに故人かは、ちょっとそのあたりは私の調べが今はまだ)、その母の実家は源氏である。
この時代、結婚が今の形態とは違う。
とくに関西では通い婚(妻問い婚)、そこから同居という形になる。
だから母の実家というものが今とは違って、その育ちの上での精神性に大きく関係してくると私は思う。

では西行の母の実家の主、母方の祖父とはいかなる人であったか。
実はひじょうに変わった面白い人なのである。
名前を源清経という。

監物(大蔵省で出納をつかさどる職)についていた人物なのだが、今様(当時流行っていた歌謡、ニューミュージックというところか)に明るく、ほとんど現在のプロデューサーのような存在だった。
彼のことは後白河法皇が書いた『梁塵秘抄口伝集』にくわしい。

彼は今様の名手で青墓宿(岐阜の大垣)にいた傀儡女・目井のパトロンだった。
目井を愛し、上京させて同棲した。
目井という女性はよほどの歌い手だったのだろう。
性愛の情が醒めて、疎ましく感じ、わざと背中を向けて寝たふりをしたが、その背中に目井のまつげがまばたきして触っただけでもぞっとするくらいにもなったが、それでなお彼は彼女の歌を愛して手を切らず、晩年尼になって死ぬまで、食い扶持を与え、面倒をみたというのである。
背中にまつげが触っても、というあたりの表現はとてもリアル。
これを、目井の弟子で養女でもあった傀儡女の乙前が話したこととして後白河法皇が口伝集にそのまま書き残している。
乙前は後白河法皇の今様の師である。傀儡女を先生と仰いで今様に熱中し、乙前の言う事をすべて信用している法皇の姿を含め、『梁塵秘抄口伝集』は面白い。うまく表現ができ、一本筋が通ったような女が好きなのだろう。だから出会ったときにはすでに数人の子持ちだった丹後局(遊女の丹波局ではなく高階栄子の方)にも参ったのね、とか思ってしまう。

話を戻す。西行の祖父・源清経、である。
彼は才能のありそうな若い傀儡女を自ら弟子にして明けても暮れてもスパルタ式に仕込んだ。
若い傀儡女たちは、夜中はあまりに眠くて水を浴び、まつげを抜いたりして、それでもまだ眠気そうにしながら、必死で歌っている様子だったという。
夜が明けてもなお蔀(現在のブラインドのようなもの)も上げず、いつも延々と歌わせているので、同居していた目井の養女である乙前がうっとおしく思い、彼に、常識はずれではないか、というような事を言って抗議をしたところ、
「若い時はよいが、年老いて容貌が衰え誰も目をかけてくれなくなった時にでも、歌の実力が確かにあれば、聞いてみたい、教えてもらいたい、と高貴な人に呼ばれることもあるだろう」
と言ったという。
譜面もない、録音もできない時代には、歌謡の節は人伝えに伝えられるので、時にあいまいになったりするのだろう。それが、確かなものを持ってさえいたら、手本として大切にされ、芸に身分の上下はないから食べていけるということである。
その通り、乙前は70歳をすぎて後白河法皇に呼ばれ、法皇の師として大切にされた。

これを読むとわかるが、清経自身がかなりの歌い手だったのだ。
彼はそうした芸能者のいるところに明るく、なんでも源師時という人の日記『長秋記』には、清経が案内役として神崎・江口の遊女と遊んだ話が書かれているらしい。
他にも蹴鞠の達人だったというし、監物(けんもつ)はけっして堅物ではなかった(似ているけど字が違う。笑)

さて、その彼は、目井を愛し、長年同居していたとしても、本宅へも当然行ったであろう。
これだけの情のある人間が、自分の妻子に情をかけないわけはない。
目井ならぬ、妻のまつげが背中に触り、鳥肌が立つほど恐ろしく感じたとしても、子供は愛おしい。
特に娘となれば。
自分の家庭で彼は歌を歌っただろうか。
「芸に身分は無い」というような彼の思想は、家庭内に形を変えても何かしらあったのではなかろうか。
また蹴鞠に関しては藤原頼輔が書いた『蹴鞠口伝集』に清経の説が幾つも書かれているそうなのだが(私はあいにく読んでいない)、そこには西行の説も5ヶ所に引かれているらしい。
それを知ると、西行は子供の頃にやはり清経に育てられたか、かなり身近にいたと考えたほうがよさそうな気がする。

そう考えると、くだんの江口の遊女・妙だが、妙と西行の祖父・清経が知り合いだったとまでは思えないが、頼ってみようかと思わせる、下地があったのかもしれない。
なのに断られたので和歌を贈ったのだろうか。


スポンサーサイト

テーマ : 雑記
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

尾川裕子

Author:尾川裕子
大阪女性文芸協会代表
日本文藝家協会会員

「晴れたらいいね」というタイトルは、「毎日が明るい日であればいいね」と思う気持ちと主催している文学賞の応募者に「あなたの作品が受賞できたらいいね」という思いを重ねたものです。

応募希望者は「応募希望者へ」と「大阪女性文芸賞」のカテゴリをごらんください。

おしゃべりと食べることお酒を飲むことが大好きです。
文学だけでなく歴史オタクでもあります。
どうぞよろしく。

月別アーカイブ
最新記事
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。