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(12)西行と妙

時空を超えて(12)

おかげさまで17日のリーガロイヤルホテル大阪での文学講座は無事終了いたしました。
おいでくださいました皆様、心からお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

さて、今回、おいでになった方から「西行と妙のくだりが思っていた話と違っていたので興味深かった」と後から言われました。
西行と妙のくだり、とは、能「江口」日本舞踊「時雨西行」の元になる二人の和歌のやりとりとその状況を私が説明したくだりのことです。
せっかくなので、改めて、時空を超えてシリーズでも書こうと思います。

この話の元は、西行が50歳ころに四国へ旅をする途中、四天王寺にお参りしようとして遊女のメッカ・江口あたりで雨に打たれ宿を借りようとして断られた、ということから生じた和歌のやりとりで、西行の家集である『山家集』に載っています。

雨にぬれた西行が宿を貸してくれなかったその家の主人に歌を送りました。
世の中を厭ふまでこそかたからめ 仮りの宿りを惜しむ君かな (西行)
(世の中が嫌になって出家しようとまで思うことなど貴女にはむずかしいことでしょうが、ちょっと宿を貸すのも惜しむのですね)
「惜しむ君かな」、つまり家主に「ケチ」と言いたかったのですね。雨にぬれて西行もよほど困って情けないありさまだったのでしょう。
ところが「惜しむ君」とまで言われた家主は黙っておりません。
次のように返しました。
いへを出づる人とし聞けば仮の宿 心とむなと思ふばかりぞ (妙)
(出家した人だと聞けばこそ仮の宿でもこのような所に心をとめてはいけないと思うのですよ)
つまりは、出家した身の貴方が遊女の里で雨が降っているから家を貸してくれなぞと甘えたことを言ってはいけません。出家したからには厳しい覚悟もあったはずではないですか、ここは俗の中の俗ですよ、というくらいの感じを込めて家主の妙は歌で返したのです。
プライドを持ったなかなかの才女です。
西行はまったくもって一本とられました。

これが西行ではなくタダの僧であっても、僧が遊女に宿を借りようとして断られたというだけで面白い話です。しかも僧はタダの僧ではなく、歌で知られた西行で、その西行を歌でやり込めたのだからめったとない話です。
そのため、この話は、以降どんどんフィクション化されていきました。

代表的な話としては、
妙は平資盛の娘で、源平の合戦以降身を落とし、まずしい舟女郎になっていたが、西行とのこの歌のやりとりの後で語り合いそれが縁で仏門に入った、
というような物語(いろんなバージョンがあるけれど)です。

ところで、このフィクション化された話だと、だいぶおかしいのです。
何がおかしいか。
年代がおかしいのです。
西行が妙と歌を交わしたとき、西行50歳くらい、西暦1168年前後。
源平の合戦は1180年~1186年。まったくもって15年は違う。
しかも平資盛は1158年生まれ(1161年説も)。
おやおや、です。
妙よりも平資盛のほうが年下ではないですか。
(まあねぇ、フィクションや伝承ですから仕方おまへん。そんな事言ったら義経と弁慶だってあの二人あんなかけがえのない仲ではおまへんでした。弁慶のエピソードはほとんどフィクションです。ところで、なんで妙は平資盛の娘にされてしまったんでしょ? おそらく平資盛は歌が上手かったということと、平家の女が遊女にされたという伝承が関係するんじゃないでしょか)

元にもどしましょう。
妙、です。
妙が貧しい舟女郎であったならば、西行はそもそもあんな歌を作りはしないでしょう。
貧しくて、食べていくために身を売る生活の哀しい女ならば、生きているのが厭になることもあるでしょう。
西行が「世の中を厭ふまでこそかたからめ(世の中を厭になることなぞはむずかしいでしょうが)」と相手に歌ったその背景には、きっと、出家しようなぞとは夢にも思わないような、あんがい豪華な暮らしぶりをしていたからではないでしょうか。
遊女妙の住まいは、一宿一飯、頼って行ってもなんとかしてもらえそうだと思ったからこそ、西行が宿を貸して欲しいと頼み、なのに断られたからこそ、「惜しいのか」ケチと思い、わざと歌を送ったのでしょう。弱者である貧しい女だったらば、僧の身でそんな歌を送りましょうか?

実は、平安時代、遊女はさほど低い身分でもなかったのです。
女を武器に身を売りはしたが、歌を歌い、舞を舞う「芸能人」だというほうが判りよいくらいです。
遊女たちは下々の者たちはもちろん、皇族、貴族、名のある武士の寵愛を受け、中には後宮に仕える者もいたのです。
そうした皇族貴族との間に子供も遊女は産みました。
生まれた子供が男であれば父の子として皇族貴族になりました。
女の子の場合、父がはっきり貴族とわかっていても遊女でした。
貴族に列した男子に対し、まったく差別が無かったか、といえばむずかしいかもしれませんが、どんなものだったのでしょう。今でも芸者さんが生んだ息子が父の後を継いで政治家になっていたり、会社の後を継いだりしています。そのようなものだったのではないでしょうか。

後の時代、遊女は芸能者ではなくただ身を売るだけの女になります。
そのあたりから作られる西行と妙の物語の「妙」はドラマティックに変化していくのです。







                                

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テーマ : 雑記
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

尾川裕子

Author:尾川裕子
大阪女性文芸協会代表
日本文藝家協会会員

「晴れたらいいね」というタイトルは、「毎日が明るい日であればいいね」と思う気持ちと主催している文学賞の応募者に「あなたの作品が受賞できたらいいね」という思いを重ねたものです。

応募希望者は「応募希望者へ」と「大阪女性文芸賞」のカテゴリをごらんください。

おしゃべりと食べることお酒を飲むことが大好きです。
文学だけでなく歴史オタクでもあります。
どうぞよろしく。

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