(9)土師氏と童謡(わざうた)

時空を超えて(9)

前々回の時空を越えて(7)で、
梁塵秘抄口伝集にある土師氏と熒惑星の話を書いた後で、
なんだか思いつくことがまたもや出来たので、今回はその話を書こうと思う。

まず、7回目の一部をコピーしよう。
「梁塵秘抄口伝集の冒頭にも用明天皇の時代に、和歌ではなく歌謡の歌だが、声のよい歌の上手い土師氏の男の歌に唱和し、ばれそうになって逃げて住吉の浦に沈んだという熒惑星(火星)の話が書かれている。
住吉の神は昔から星と関係があるといわれているので、これなども歌と神が関わる話に入る。
(しかも、土師氏の男が歌が上手くて今様の元になったという伝承だが、土師氏はそもそも殉死を止めるべく古墳に埋める埴輪を作った氏族で、葬礼や陵墓に関わる仕事をした、つまり、「遊び」に近い氏族である。遊びと歌とも関わるこの部分も面白い。しかも土師氏から菅原道真の菅原氏は出ているからなおさら面白い話である。さらに熒惑星というのは予言と関わる童謡わざうた、呪力のある歌を司っている星らしい)」

これを私は書いた後、引っかかってしょうがなかった。
実は、日本史上の大きなターニングポイントである奈良時代末から平安時代始めにかけて、天皇の皇位にかかわる童謡(光仁天皇と桓武天皇に関して予言したわざうた)がはやったという記録があるのだが、その童謡にかかわる鍵を土師氏が握っていたと推理したら、とても面白いというか納得できると思い始めたのだ。

すこし長くなるが時代背景とその童謡について書く。

奈良時代最後の天皇は女性の称徳(孝謙)天皇である。
この女帝に関しては、次期皇位を皇族ではない僧の道鏡に譲ろうとしたが和気清麻呂によって阻止されたという有名な話が残る。このあたりの称徳女帝の逸話はその後に政権を握ったものたちによって、かなり愚かにえげつなく変えられたところがあるかと思うが、それはともかく、そのような子供のいない独身女帝の、次の皇位はどうなるだろうかと混沌とした頃に、まず下記のような童謡がはやったというのである。

葛城の寺の前なるや 豊浦の寺の 西なるや おしとど としとど
桜井に 白璧沈くや 好き璧沈くや おしとど としとど 
然してば 国そ昌ゆるや 国そ昌ゆるや 吾家らそ昌ゆるや おしとど としとど

(葛城の寺の前にある、豊浦の寺の西にある桜井に白い璧が沈んでいる、よい璧が沈んでいるよ、そうしたら国は栄えるでしょう、国は栄えるでしょう、我が家も栄えるでしょう。──おしとどは囃子言葉といわれる)

称徳女帝は一人っ子ではない。血を分けた井上内親王という立派な異母姉が生きていた。
井上内親王は、皇族として、称徳とは一番血が近かったが、藤原氏以外の腹から誕生したため、政権を握りたい藤原氏によって遠ざけられ、子供の頃から20年も伊勢で斎宮をしていた人である。
しかし、彼女、斎宮職を解かれ都に戻ってから、当時の女性としてかなりの高齢だったが、天智天皇の孫の一人である白壁王と結婚し、男子を出生した。
この童謡の、桜井はその井上内親王のことを暗示していて、白璧の字が似ているので白壁王をさし、璧は玉座の玉、つまり天皇のことをもあらわしているといわれている。
──私は、他にも出だしの「葛城」は白壁王の祖父・天智天皇(一般には中大兄皇子といわれているけれど、本当は「葛城皇子」だから)の関係ということをもあらわしているのかとも思うんだが…。

さて、即位前に、この歌が流行り、そして称徳天皇が急死した後、歌詞の希望どおりに、彼が皇位を継いで光仁天皇となった(ちょっと乱暴な言い方だが婿養子的に白壁王が皇位を継いだのである。井上の腹にできた他戸皇子を次期天皇にすることで)。
ところで、すでに高齢だった白壁王には井上内親王と結婚するより前からの妻が他にいて、そこに子供が3人いた。妻は百済王族・和氏の娘で高野新笠といい、彼女との間にできた長子が、後の桓武天皇になる山部皇子である。
この高野新笠、実は、その母が土師氏なのである。
高野新笠の立場で、平たく言えば、皇族とはいえ日の当たらない白壁王と結婚して、地味に幸せに暮らしていた一家のもとへ、突然、天皇の姉が後から正妻として嫁いで来、その縁で夫が天皇になった、ということになる。百済王族の末裔の和氏出身では身分から言っても太刀打ちできるはずも無く(母方の土師氏の力の方が和氏より大きいくらいで)、夫が天皇になったことで、自分の産んだ子供たちも親王、内親王になった。これは彼女の実家の和氏にも土師氏にもまたとないチャンスであった。

この機会に、土師氏は、土師氏の名前は葬儀に関わる名前になってしまっている現状を憂え名前を変えてもらうよう願いを出し、認められ、菅原、秋篠、大枝(大江)に変わった。(藤原氏が、中臣氏から藤原氏に名前を変えて不比等以降、神官ではなく政治家になれたように。)──この改名は菅原道真の曾祖父の時代のことである。

話を戻そう。
光仁天皇が即位して後、数年の間に、次期皇位をめぐって、陰謀と思われるような事件が起こり皇后の井上内親王と彼女の産んだ他戸親王は皇后と皇太子を廃され、幽閉され、そこで揃って死亡した。
天皇の姉の難波内親王を皇后が呪詛し殺したと大逆罪の嫌疑をかけられ暗殺されたらしい(らしいというのは、証拠はないけれど同日に死亡したので)。言いがかりである。当時の天皇じたいが70歳くらい、その姉である。わざわざ呪詛やらしちめんどくさい厭魅やらしなくとも、黙っていても、お迎えは来る年頃である(失礼!)。そのため後で井上内親王と他戸親王は怨霊になったと怖がられた。

彼らの死により、光仁天皇の後の皇位を継いだのは、山部皇子であった。
これこそ、山部の母方につながる氏族にとって、願っても無い幸運ではないか。

その山部皇子にも、即位前、彼の即位にかかわる童謡がはやった。

於保美野邇 多太仁武賀倍流、野倍能佐賀、伊太久那布美蘇、都知仁波阿利登毛
おおみやに ただにむかへる やへのさか いたくなふみそ、とちにはありとも

(大宮にまっすぐむかっている やへの坂(八重の坂だろうが音が似ている山部をさす)、あまりどんどん踏みつけてはいけない、土であっても。──註 これは図書館から借りてきた講談社学術文庫「日本後紀」に書かれた上記万葉仮名を(この部分、文庫の現代語訳が歌らしくはなく意味だけだったので)、わたしが独流で字をカナにあて、歌らしいものにしたので、あてたカナが違うところがあるかもしれません)

土師氏というのは、何度も書くが、葬式儀礼、陵墓の建築に深く関わる氏族で、おそらく一般に仁徳天皇陵や応神天皇陵(この近くに土師氏の集落、「土師の里」がある)といわれるような巨大古墳も彼らが中心になって造ったはずである。
それら人夫を動員できる=軍隊としての力もあったようで、日本書紀を読むと、蘇我氏が大きな力を持っていた頃、蘇我氏の重臣、時には手先として戦っている。聖徳太子の子の山背大兄皇子が撃たれた時も土師氏が蘇我入鹿の命令で行く(このときにも童謡が流行ったとある)。
外交官として中国へ派遣された者や、続日本紀の編纂に関わる者もいたり、文武ともに逸材が多い、なかなかしたたかな氏族なのだ。

こうして並べてみると、童謡というもののずいぶんそばに土師氏がいるような気がする。
少なくとも、光仁天皇の即位、山部皇子の即位には、従来いわれている藤原氏の中の藤原百川らが謀って担ぎ上げた、というほかに、山部皇子を産んだ高野新笠の母方の実家の土師氏が特別な後押しをしておかしくはない気が私はする。

梁塵秘抄口伝集の冒頭に書かれた土師氏と熒惑星(童謡と関わる星)が唱和したという逸話は、後白河上皇が『聖徳太子伝暦』から引いた話であるが、その聖徳太子伝暦が著された平安時代の917年頃までに、実は歌謡がうまい土師氏というだけでなく、裏に童謡にも関わっていたのではなかろうかという、そういう意味までふくめて、あったからこその伝承ではなかろうか。
童謡は、歌垣で、誰が歌うとも無く、世相を風刺したり予言したりしたものが流行ったものだ、というが、その操作はしようとおもえば簡単な気がするが、どうであろう。

最後に、歌垣について、河内の「土師の里」でも歌垣が行われた。
それは令集解に「但此条遊部謂野中古市人歌垣之類是」と書かれているので判るのだが、いかにも土師氏らしい、葬送儀礼にかかわる遊部に属する特別な歌垣があったということである。もっと具体的にいえば挽歌専門の歌をつくる人々がいたということである。
土師氏と童謡(わざうた)がつながっているとはっきり言えないが、すくなくとも「歌垣」と土師氏が深くつながっている根拠にはなるかと思う。

このシリーズ、コピペは禁止です






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尾川裕子

Author:尾川裕子
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