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(6)今日は七夕

時空を超えて(6)

今日は七夕です。
なんだか空はすっきりしませんが…。

ところで、前々回からの話の続きですが、
遊女は近江の朝妻と播州の室津が始め、という俗説があります。

その近江の朝妻とは、新幹線の米原駅の近くで、
天野川が流れていて独自の七夕伝説も残る場所です。
なんでも雄略天皇の皇子、星河稚宮(ほしかわのわかみや)皇子が牽牛で、
織姫は仁賢天皇の皇女、朝嬬(あさづま)皇女なんだそうです。

「川や水辺の棚で機を織る聖なる女」の話は(4)で書きましたが
この場合も朝妻に神に捧げられた女がいた、
というのがこの話の元になっているような気がします。

実はここは古代から「坂田」といわれたところです。
そして「息長」という、古代の有名な氏族の本貫地のある場所です。
この坂田にはその息長の娘で
日本書紀では「衣通姫(衣通郎女)」という美女がいたと書かれています。
肌の美しさが衣を着ていてもなお、衣を通して外に輝くほどの美女ということです。
彼女のことはwiki→ 衣通姫">衣通姫でどうぞ。
(後の時代に出来た「かぐや姫」の話は彼女の伝承が投影されているとも言われています)
この衣通姫には忍坂大中姫という姉がいて、
彼女は允恭天皇(雄朝津間稚子宿禰尊。おあさづまわくごのすくねのみこと。仁徳天皇の皇子)の皇后でした。
その衣通姫は、新嘗祭(折口信夫氏によれば新嘗祭は正式には、12月の中の卯の日に行われたものらしい。日本書紀のこの部分も12月の話です)
の新室で行われた宴で、
姉によって(不承不承だが)允恭天皇に奉られた姫なのです。
(新室で奉げられるのは処女ってことでしょうか)

かつて、日本の神社は毎年新しい社殿を造り神を迎えたものらしく
この新室も、
「その年に収穫された神に捧げるための穀物を納め、
神と現人神である天皇が収穫に感謝する祭祀を行う室」
ということらしいのですが、
そこで、神と、現人神である天皇へ捧げられたのが、
つまりは衣通姫だったということです。

この衣通姫ですが、後の時代、
遊女は自ら「衣通姫の末裔」と称していたために、
遊女=神に捧げられた女=巫女的女説が生まれました。

この衣通姫の出身地が、これまた遊女発祥地の近江で「朝妻(あさづまは允恭天皇の名前である)」。
なんだかとても面白い一致ではありませんか。
というか、衣通姫の末だと自称するのは、この朝妻の遊女ならば納得ですよね。

さて、七夕の織姫です。
衣通姫の「衣」も、織姫の織る「衣」と考えれば近い気がします。
こうして考えると、近江の七夕の伝承は
衣通姫の話が実は下地にあって変化したものではないでしょうか。
(ちなみに近江には羽衣伝説もあるのですが、それもちょっと話が近いのです)







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テーマ : 雑記
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

尾川裕子

Author:尾川裕子
大阪女性文芸協会代表
日本文藝家協会会員

「晴れたらいいね」というタイトルは、「毎日が明るい日であればいいね」と思う気持ちと主催している文学賞の応募者に「あなたの作品が受賞できたらいいね」という思いを重ねたものです。

応募希望者は「応募希望者へ」と「大阪女性文芸賞」のカテゴリをごらんください。

おしゃべりと食べることお酒を飲むことが大好きです。
文学だけでなく歴史オタクでもあります。
どうぞよろしく。

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