河野多惠子先生を悼む

昨年秋に文化勲章を受章された作家・河野多惠子先生が亡くなられました。
河野先生は、私ども大阪女性文芸協会にとって恩人です。
私どもが33年前に大阪女性文芸賞を立ち上げた当時、文学賞の選考委員は男性ばかり、文芸評論家も男性しかいない時代でした。
そんな時代に女性が本音で書いたものは、時として認めてもらいにくかったと、初代の代表をはじめとする創立時の理事たちから伺いました。
大阪女性文芸賞はそうした事情から無謀にも「女性のために女性が作る小説の新人文学賞を」と立ち上げたものでした。

初代の副代表・田能千世子さんは、河野先生の大阪府立女子専門学校(後の大阪女子大、現在は統合されて府立大学)の先輩であったため、田能さんが河野先生へ選考委員をお願いする旨の手紙を書き、私どもの思いをしっかり受け止めて先生が第1回から第20回までお引き受けくださったのでした。
大阪出身の先生にとって、大阪の女どもがパッションで立ち上げた私どもの賞を、身内が頑張る気なら力にならなければならないと思ってくださったのかもしれません。

当時女性作家は「女流作家」と言われていた時代でした。
私どもの賞の名も初めは「大阪女流文芸賞」にしようかという話があったそうですが、河野先生が「男流作家という言葉がないのは男が主流で、女流作家は主流ではない別流という意識で使われてきた言葉です。女流ではなく女性文芸賞にしたほうがよい」と言われて「大阪女性文芸賞」という賞の名前が決まったのでした。
また私どもが発行している冊子の「鐘」という名前の名付け親も先生でした。
「お寺の鐘は、普通は大きな棒で突かないと鳴らないものだけれど、人の指1本でも根気よく何度も何度も突いていると大きく鳴るものだと言います。小さな力でも根気よく続けて大きく世の中に鳴り響くような作家を誕生させなさい」という意味で名づけてくださいました。

そのように、私どもの活動を一から導き、ご協力くださった恩人でした。
突然の訃報に、ショックを受けております。
ご冥福を心からお祈りいたします。
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プロフィール

尾川裕子

Author:尾川裕子
大阪女性文芸協会代表
日本文藝家協会会員

「晴れたらいいね」というタイトルは、「毎日が明るい日であればいいね」と思う気持ちと主催している文学賞の応募者に「あなたの作品が受賞できたらいいね」という思いを重ねたものです。

応募希望者は「応募希望者へ」と「大阪女性文芸賞」のカテゴリをごらんください。

おしゃべりと食べることお酒を飲むことが大好きです。
文学だけでなく歴史オタクでもあります。
どうぞよろしく。

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