スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

そうだったのか──中島三郎助のこと

昨夜、目が疲れていて、パソコンを見ると眠くなって仕方がないので、もう寝ようとめずらしく夜の10時に寝室へ向い(夫もテレビをつけっぱなしで椅子で寝ていた)、テレビを消そうとしたとき(というか消した)、なにやら「中島三郎助」という文字が最後に大きく出たようで、おや、もしかして、中島三郎助とはあの中島さんか? と、思い当たる名前であったので慌てて一度消したテレビをつけた。
NHKの「歴史秘話ヒストリア」という番組で、箱館戦争という字が躍っていたので、間違いない、私の知るあの「中島」さんなのだ、と確信し、その後は眠気も吹き飛び、大騒ぎであった。

私は何度も書いているように、北海道函館市出身なのだが、ピンスポットで実はこの「中島」さんとは縁が深いのである。
が「中島」さんのフルネームはきちんとは知らず、講座で幕末の話をすることがあって、ブラッシュアップのために資料を調べて、そこにちらりと名前が出てきても、あ~あの中島さんという認識くらいで、深く知ることもなく、知らずとも良かったのだった。

では中島さんとどう縁があったかといえば、私が卒業した小学校が「中島小学校」で、近くに「中島廉売」という大きなしかもかなり安い有名な市場があり、祖母も母もその廉売を利用していたのである。彼の名前にちなんだ「中島町」があって私のかつて住んでいた町の隣だった。
そして私が次に通った「松川中学校」には「中島三郎助の碑」が玄関の近くにあって、毎日その横を通って玄関に入ったのである。
よその学校には「二宮金次郎」の像があるという噂なのに、なぜかわが母校には「中島三郎助」なのだったが、先生たちは彼の説明をしっかりとはしなかったようで(いやちょっとは聞いた、箱館戦争で戦死した偉い人だというような話だった。簡単に。)、だから「中島」さんはとてもとてもなじみの人だったけれど、土方歳三のように私の胸を打ちはしなかったのである(土方歳三は顔が甘くてステキだったしな)。
私の中島さんの最大の思い出は、理科のカエルの解剖の実験後にカエルを処分する役目をおわされたとき、この中島さんの碑のところに埋めたことである。
どうも私はこの碑を「墓」の認識でいたらしい(すんません)。

ところが、昨夜のTVで、この中島さんの生涯を知り、ほんとうに目からうろこ。
すんません、すんません、貴方のことを私は何も知らずにいたのですね。お許しください(カエルのことも失礼しました)。
と、興奮しきりだった。
中島三郎助wiki

テレビもよい作りだったと思う。
面白かった。
最近「中島三郎助祭り」というのがあるようで、びっくり。
そういえば「高田屋嘉兵衛祭り」というのもあるようで、思えば故郷を出て30年以上の私である、たまに帰っても浦島太郎。
かつて中島三郎助の碑があった松川中学校は火事でなくなり、碑もすこし場所が変わったようである。

スポンサーサイト

テーマ : 日記
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

尾川裕子

Author:尾川裕子
大阪女性文芸協会代表
日本文藝家協会会員

「晴れたらいいね」というタイトルは、「毎日が明るい日であればいいね」と思う気持ちと主催している文学賞の応募者に「あなたの作品が受賞できたらいいね」という思いを重ねたものです。

応募希望者は「応募希望者へ」と「大阪女性文芸賞」のカテゴリをごらんください。

おしゃべりと食べることお酒を飲むことが大好きです。
文学だけでなく歴史オタクでもあります。
どうぞよろしく。

月別アーカイブ
最新記事
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。