小説における事実と真実

第27回大阪女性文芸賞の下読みも順調に進んでおります。
9月の中ごろには予選通過作品を発表できる予定です。

ところで、今日は、応募作を読んで感じたことをすこし書きます。

小説の中には事実をもとにした作品があります。
社会的な事件、事故、あるいは身近な出来事。
病気や介護、訴訟問題、夫婦親子嫁姑のような身内の問題。
他にもいろいろ。

生きていると、公的にも私的にも多くの問題が周りにはあって
それらを元にどうしても書き表したいと思うことがあります。
そうした場合、ノンフィクションを書くのとフィクションを書くのとでは
事実と真実の捉え方が違います。
事実を忠実に書き、そこから真実を追究するのがノンフィクションです。
私どもが主催しているのは芸術作品としての小説の賞です。
小説はあくまで虚構です。
いかに事実にもとづいた私小説でも、小説ならばフィクションです。

私どものような新人賞に応募しようとする方に、よくある問題ですが、
自分の体験した驚くべき事実を、あるいは世に知って欲しい出来事を
一生懸命忠実にそのまま羅列したばあい、
むしろ小説で表すところの真実が見えにくいことが起こります。
要注意です。

これは読み取る私たち下読みも注意が必要だと私は常に思っております。
例えば、病気も境遇も含めなにか悲惨な事を体験した主人公の
その境遇や生き様にただただ圧倒されたり、同情してしまうことがありますが、
しかし、よく書かれていても、ほんとうに小説になっているか、
体験ばかりが表面に出ていて、
主人公が根っこの部分で訴えなければならなかったはずの物が書かれているか
冷静に読まなければならないと心しております。

芸術としての小説では真実を書くために、事実と異なることを必要ならば書いてもよいのです。
その場にいなかった人を登場させたり、
その場にいた人をばっさり消したり。
いかに事実であっても、むしろそれを書く方が嘘くさくなったり、よくある出来事過ぎるという場合には、思い切ってその事実は無くしても許されるのが小説です。

極端に判りやすく書きます、
もし、親族内でもめたシーンがあったとします、写真のように実際にいた人々を抱いていた赤ん坊の果てまで、また傍にいた愛猫、愛犬にいたるまですべてを忠実に発言から服装からしぐさまで書かれたような作品があったら、いかがでしょう。読むほうはテーマと違う部分にふと興味がいってしまったり、こんな人まで登場させなくともどうでもいいのにと、気持ちが散漫になってしまうでしょう。いかに事実であっても茂りすぎた枝葉は不要です。ベースに事実がある場合、その見極めは非常に難しいとは思いますが…(もめている人間を面白おかしく書くのだけが主題の作品はこの場合話は別です)。

小説の場合、作者が「これが本当」として訴えたいことが真実です。
そして小説は事実ではなく真実を書くものです。

芸術作品としてそれがうまく描かれている小説を私たちは求めています。
小説における事実と真実、似ていますが違います。

(まったくの虚構による文芸作品の話ではなく、この場合はあくまで私小説、あるいは事件や社会現象など題材にした小説作品に関して書いています。)




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ジャンル : 学問・文化・芸術

(11)八束毛になるまで遊べ

時空を超えて(11)

「手足の毛が、八束毛(やつかげ)になるまで遊べ」と勅命のあった人々がいる。
今日はその話を書こう。

ちなみに一束とは一握り、握りこぶし一つ、八束とはそれが八つ分、というか古代では八が大きな数字の代表なので、手足の毛がオランウータン以上に伸びるまで=生きている限り永遠に、遊べと天皇の命令があったということである。
課役を免じられ、一生を保証され、そのかわり生涯遊ばなければならなかった。
彼らはそれゆえ「遊部」と言われた。
現在の「遊び」ならば、一生仕事もしないで遊んで暮らせる結構な身分、ということになるが、古代の「遊び」は何度も書くが意味が違う。
神事にかかわる仕事で、この「遊部」の場合は死者の鎮魂のための「遊び」である。

伝承によれば、その民は、垂仁天皇の隠し子の「圓目王(つぶらめおう)」の子孫という。

この圓目王は記紀にはまったくでてこない。
「令集解」という平安時代に書かれた養老律令を注釈した書物に登場するので、現代でも知るのである。だから現実にいた人物か、遊部の民が持っていた伝説上の人物かは不明である。
(現在使用しているの本来の漢字)という名前の字とともに、私には非常に興味深い人物である。
(前回の、垂仁天皇へ嫁いだものの醜いゆえに戻され、それをハジて自殺した竹野媛の話だが、古事記では名前が違っていて「野比賣」なのである。実はこの圓という漢字、国構えの中の「員」の下の部分は本来は王が祭祀に使う器のという字でできていたそうで、どうもそのあたり圓目王も圓野比賣もそのストーリーに意図してこの字をあてて名付けられたような気がします)

ところで、令集解では「遊部」とは何か、を、その起こりから注釈しているので、判るようにだいたいを書いてみようと思う。
『遊部は、あの世とこの世の境にいて魂を鎮める氏で、身の終わる事なし。故に遊部という。大和の高市郡にいて生目天皇(垂仁天皇)の隠し子・圓目王の末裔である。遊部は野中古市の人の歌垣の類もこれと同じ(この事はこのシリーズ(9)土師氏と童謡でも書いた)
遊部を負うようになったゆえんは、それまでは代々の天皇が崩御された時には伊賀の比自岐和気氏族が殯宮(もがりのみや)における葬送儀礼に、刀と矛を持つ禰義(ねぎ)と刀と酒食を持つ余比(よひ、よし)による二人一組で従事してきたが、のちに長谷天皇(雄略天皇)が崩御された時に、比自岐和気氏族は絶え、殯宮で七日七夜御食を奉られず、天皇の霊が荒びてしまった。探してみたら、比自岐和気氏の娘で圓目王と結婚していた者がただ一人残っているだけだった。しかも彼女に問うと「女ではその務めが充分にはできない」ということで、代わりに夫の圓目王が供奉し、おかげで天皇の霊が和み、安らかになった。
それで時の天皇(清寧天皇)が、今日より以後手足の毛が八束毛になるまで遊べ、と詔し、彼の子孫が遊部となった』
というような話が書かれている。
(註 私が大雑把に要約したもので少し乱暴なところがあるかもしれません)

ところで、この文章を読むと、そもそも殯宮には代々伊賀の比自岐和気(ヒジキワケ)氏族が従事していたことが判るのだが、
おやおや、
またもや私にとっては気になる「ヒジ」キワケ、である。
ヒジキワケとはヒジの別(ワカレ)orヒジのワンニム(王)。
前回書いた泥部(ハツカシベ)の説明でも書いたように泥はハジともヒジとも読む。
つまり、泥粘土で作った埴輪を古墳に並べ、古墳自体を建築するのが土師(ハジ)氏で、葬送儀礼には比自岐和気氏族が従事していたことになる。
どちらも垂仁天皇にその伝承のスタートがある。
というか、古代の葬式に関わる話が、すべて永遠の命を求めながらも叶わず崩御した垂仁天皇から始まるように作られているのであろう。

ところで、ハジもまた「垣」と同じで境界である。
端、橋、箸、嘴、梯、すべて境界だ。
端と嘴は境目、橋と箸と梯は境にあってモノを渡す物である。

たとえば卑弥呼の墓かといわれている箸墓について「昼は人が造り夜は神が造った」という伝承があるのも、異界との境界を意味する名前の「箸墓」だからそんな伝承が生まれたのだろう。また葬られたのが大物主神と結婚した倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)だから、そんな名前と伝承になったのであろう。
「箸墓は土師氏の墓だ」と推理した学者(土橋寛)がいた。
それに関しては、私は疑問に思うが、ハジ、ヒジともに、そうした境界を意味する言葉で、あの世とこの世の間に供奉する仕事についた人々に付けられた名前なのではなかろうか。

このシリーズはコピペ禁止

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ジャンル : 小説・文学

風邪ひきました

北海道へ行く一週間ほど前に、
冷房の効き過ぎた電車に一時間以上乗って以来
どうも体調がいまひとつ。時折頭痛がしてました。

頭痛薬飲んでごまかしたりしていましたが、
どうもそれはごまかしだけのようで、いつまでもぐずぐず治らないので、
風邪を疑い、一昨日に売薬の風邪薬飲みました。
そしたら、頭痛が治まり、しかし薬の飲む時間を空けたらまた頭痛がするので、
まちがいなく風邪なのだと思います。

で、この暑さ。
どこへいっても暑いし寒いし(場所によってはクーラー効きすぎ、家の中でも夫がいるときはクーラー効かせ過ぎ)。体温調節できにくくて困る。
こんな時はなんかイラッとして(とくに夫に対して)、感情的になってしまいますね。
あきまへん(テキはビクついております)。

ということで、風邪が治るまで、下読みも、ぼちぼちにしています。




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開港150年の函館

母の13回忌で、函館の実家へ夫と5日間行ってきました。
今年の天候は、大阪の梅雨明けもなかなかだったのですが、
梅雨の無いはずの北海道でもいる間中、雨と曇り。
暗いお天気で、寒かった。

でも、私が函館にいた8月1日~5日までは、ちょうど「函館港まつり」で、
特に今年は函館が外国に開港されて150周年記念の「港まつり」、
とても賑やかにお祝いのお祭りが行われておりました。

そのせいでしょう、
行きの飛行機の隣席には仕事で函館入りする演歌の歌手が座ってました。

あと、今回の帰省は、飛行機は正規でチケットを取るのは高いので、
旅行社のフリープランで取りました(一泊はホテルに泊まらなければならないのだが、一番安いホテルにすると、泊まってもなお正規の往復の飛行機代より2万ちかく安くなる)。
で、安いからということだけで取った五稜郭公園そばのビジネスホテル、
泊まった日、港祭りのパレードがそのホテル前まで練り歩いてくる(ホテルの前でパレード終了)ってことで、しかも幸いその間、雨は降らなくて、パレードを見物でき、超ラッキー! でした。

そのパレードは昔から行われていて
私は小学生のときに鼓笛隊で練り歩いたことがあるのです。
そのときは「一万人パレード」と呼んでいました。
(最近は一万人ではインパクトがなくなり「三万人パレード」と呼ぶようになって、その後「ワッショイはこだて」というネーミングにしたそうです。)
ともかく、函館の住民、町会や職場、グループ、ありとあらゆる人々がこぞって各集団揃いの浴衣やハッピを着て、長距離を、踊って練り歩くというようなパレードです。
かなりの集団ですので、延々4時間。
遠くから来られた客は、そのエネルギーを面白く感じるくらいでしょうが、
函館の住民は、「あら今度は○○町の人たちだ。あら、あれは役場の水道部の職員ね。あらあら今度は○○デパート」って具合に、身近な集団の踊りなので特別楽しいものです。
ゲストに今年は長崎の龍踊りや神戸のサンバもあって豪華でした。
ということで、ホテル前の沿道で夕方5時~9時までパレードが見られました。

途中、焼き鳥屋さんに入って、一杯飲んで
その後、お腹が膨れるものをどこかで食べようと、パスタでもとキョロキョロして、
夫が見つけたパスタのお店は、
私の高校時代の同期がオーナーシェフをしている「パスタリア」。
美味しいと噂は以前から複数の友人に聞いているお店で、
入ってしばらくしたら、私の正体もばれて、グラスワインをサービスしてくださいました。
恐縮です。近郊の乙部で作ったというワインで、さわやか、あっさりしていてイタリアンにぴったりでした。
ごちそうさまでした。
そのお店で若かりし頃の話や高校の先生や同期のたのしい話をして出た後も、
なお、パレードは20分ほど続いていました。

という具合に、ほんとうに偶然が重なって、面白い、楽しい帰省になりました。
あの世の母に感謝です。
(そういえば父から聞いた話では、函館は1859年(安政6年)6月2日(新暦7月1日)に横浜、長崎とともに国際貿易港として開港されたので、それにちなんで以前の港祭りは7月1日だった。でも浴衣を着て踊ったりするには寒いということで、8月にした、ということです)

五稜郭公園のホテルに泊まった以外は、父と独身の弟の食事のしたくで主婦していました。
それで私としては信じられないような健康的な暮らし、
毎日7時に起きて食事を作り、夜11時には寝る、パソコンも見ない、
を続けました!
間食もしなかったし、魚介類ばかり食べていたので、けっこうきっちり三食摂ったのに
帰ってから体重計に乗ったら、むしろ500g減ってました。
よかった。

テーマ : 日記
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プロフィール

尾川裕子

Author:尾川裕子
大阪女性文芸協会代表
日本文藝家協会会員

「晴れたらいいね」というタイトルは、「毎日が明るい日であればいいね」と思う気持ちと主催している文学賞の応募者に「あなたの作品が受賞できたらいいね」という思いを重ねたものです。

応募希望者は「応募希望者へ」と「大阪女性文芸賞」のカテゴリをごらんください。

おしゃべりと食べることお酒を飲むことが大好きです。
文学だけでなく歴史オタクでもあります。
どうぞよろしく。

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